ホントに死後の世界はあるかも!?【臨死体験談を集めて解説】

2019年9月5日

「あなたは”死後の世界”を信じますか?」

そう私の周囲に聞いてみると、7割の人がなんとなく存在を信じていると言いました。(10名中7名)

不思議な話大好きな私の友人達ならではの数字だと思います(笑)。

ですが、死後の世界があるかどうか死せずして体験した人たちがいます。それが臨死体験者です。

臨死体験とは、病気や事故で死を間近にした人が体験する、幽体離脱や三途の川を渡ると行った不思議な体験のことですね。

実はアメリカでは約50年前から研究が進められ、いくつかの共通性があることが分かってきました。

たとえば 『花園』『庭園』『広い草原』『トンネル』といったものです。

勿論、死の恐怖への防衛反応として脳が幻覚を見せているという根拠から死後の世界を否定する意見もあります。

しかし一方で、全盲の方が完全な視覚体験をしたり、脳機能が完全に停止した状態でも体験している人もいます。

果たして、死後の世界はあるのだろうか?

今回は、臨死体験を通じて考える死後の世界について解説したいと思います。

体験談から考える、「人の意識」とは何なのか?

脳科学では心肺停止後30秒は脳が活性化することが分かっており、それにより走馬灯や死者との出会い体験が起こっているという見方がありますが、一方、それでは説明がつかない体験があるのも事実です。

一つ一つ見ていきましょう

・会ったことのない実の妹に出会った脳外科医男性の体験談

「私は、素晴らしく景色のいい谷の上空を、美しい蝶と共に飛んでいた。
そして、隣には会ったことのない美しい女性もおり、終始、彼女に見守られていると感じた。

ふとどこからともなく『愛で繋がっている』というメッセージが聞こえてきた。

後にこの時私の脳は髄膜炎によって幻覚を見ることが出来ない状態であったと分かった。
そして、その女性は、一度も会ったことのない実の妹であったことも分かった。」

2008年、髄膜炎によって死の淵をさまよった際、臨死体験をしたとことから、彼の考えは180度変わったといいます。

この変化は、彼が医師であり、かつ臨死体験の前には死後の世界を否定していたこともあり、大々的なニュースになりました。

脳が幻覚を見せることが出来ない症状であったこと、そして、一度も会ったことのない妹の姿が現れたということ。

死後の世界があるのだと信じてしまいそうになりますよね。

あなたはどう感じますか。

死後の世界がなければこんなことは起こらないような気がしませんか?

・意識が現実化する体験をした男性の体験談

「お風呂でのんびりしていたところ、頭がズシンと重くなり救急車を呼んでいるうちに、食べたものを全部吐きましてそこから意識が無くなりました。

くも膜下出血で倒れ、すぐ手術をしましたが、意識が戻るまでの間に臨死体験をしました。

気づいたときには、田舎の田園のような、のどかな場所におり、死んだ伯父さん伯母さん、はやくに亡くなった友達などとお会いしました。

『その時会いたい人に会った』と感じています。

実際、自分の体に触ろうと思えば触れるし、「自分は霊体だ」と思うと手が胸を突き通るということがありました。

その他にも、飲食をする必要もなく、洗顔やひげ剃りなども、「身だしなみを整えよう」と思うと整うのです。

意識の中で「あそこに行こう」と思えばそこに行ける瞬間移動も体験しました。
なんとなく、自分の意識が現実化する体験をしました。

ある研究で、新停止状態から回復した人の18%が臨死体験を語るといわれており、その共通点として、「意識が現実化する体験をする」ことが挙げられるといいます。

引き寄せの法則でしょうか。

意識することでそれを引き寄せるということが、死後の世界ではより一層その力が高い状態なのかもしれませんね。

日本人に特有の三途の川現象の謎

日本人によく多いと言われるのが三途の川を体験するというものです。

宗教・文化的に三途の川に親しみのある日本人らしい体験であると思う一方で、外国人に置いてもこの三途の川を体験するのでしょうか。

そう思い、文化の違いが臨死体験の時の何かの違いを生むのかどうかを調査したところ面白いことが分かってきました。

日本では臨終の間際に、仏や菩薩が現れることが多いといいます。

一方、インドでは「ヤマ」(閻魔)と呼ばれる死神が登場することが最も多く、欧米ではキリストや聖母マリアが登場することが多いというのです。

これを考えると、その人の意識の死後の世界のイメージが文化的なバックグラウンドの影響を受けているように感じますよね。

そうなるとやはり、死後の世界というのは脳が作り出したものなのでしょうか。

しかし、三途の川を知らない幼い子どもが川を渡ったという体験談もあるのです。

・知るはずのない三途の川を渡った子供の体験談

「僕は意識を失い、その間にある体験をしました。

暗いトンネルを通ると長い革に出て、僕は船でその川を遡っていったんです。

途中、岸辺に花畑が見え楽しそうだと思い船を降りて遊んでいました。

すると知らないおじいさんが現れて、僕に向かって『お前は○○か?』と聞いてくるのです。

その名前は僕の父親の名前でした。

なので『違う』と言うと、『もしかしてお前、○○か?』と僕の名前をつぶやきました。
それから『早すぎるから帰りなさい』としきりに言ってきました。

僕はそれで意識を取り戻し、母にその話をすると、祖父の写真を持ってきて見せてくれたんです。

それで分かりました。あのおじいさんは僕の祖父でした。」

知らないはずの祖父に出会ったこの少年の話はとても興味深いですね。

トンネル・川・花畑・死者との出会いは、まさに臨死体験の典型的なパターンです。

しかし、今回の場合、三途の川を知らない幼齢であったにもかかわらずこの少年が体験した川の存在は謎です。

謎めく、臨死体験のエピソードと死後の世界。

うーん、、、やはりこの世界はとても興味深いですね。

量子論から考える意識と宇宙の関係

・走馬灯を体験した男性の体験談

「走馬灯のような形で、2歳から26歳までの出来事を夢のように思い出す体験をしました。

時間をブラウジングするように自分の人生で起こった出来事を見ることができたんです。

ですが、その多くは楽しいものではなく、むしろ悪い思い出が多く私はそれまでの生き方を反省しました。

それから自分の周りには、親・兄弟・友人・恋人という大切なものがなんと多いことかと気付き、大切にするよう心がけています。」

臨死体験で自らの人生を反省するという事例は、欧米でも数多く確認されているようです。

ですが、自分の人生を振り返る走馬灯のような体験はどのような仕組みなのでしょうか。

死後の世界には、何か自分の人生の情報が蓄えられていてそれに触れることで、自身の人生を追体験することが出来るというのでしょうか。

もしくは、脳内に無意識的に蓄えられたそれまでの人生のあらゆる情報を、再度見直しているというのでしょうか。

実はこのことは英紙「Express」(2016年12月7日付)などが、世界的に評価の高い複数の物理学者が「意識は肉体の死後も残り続ける」という驚きの発言をしていたと報じています。

それによると意識が肉体を離れると、その量子情報(=魂、意識)は宇宙に徐々に放出されます。

その過程で回復し、意識が肉体に戻ると、その量子情報が回収されその時に伴う体験が臨死体験だという考え方です。

難しくて何を言っているのか分かりませんが、もし運悪く蘇生できなかった場合、宇宙空間には私達の意識(量子情報)が漂い続けます。

魂(=量子情報)は不滅だと言うことも出来ますね。

世界最高レベルの量子物理学研究機関である、独「マックス・プランク研究所」の研究者らもこの意見に同意しており、肉体が滅びれば、未知なる宇宙に魂が放出される可能性があるとのことです。

「魂とは何なのか?」
「意識とは何なのか?」
「宇宙とは何なのか?」

謎は深まる一方ですが、「死んだら全て終わり」という常識も量子論的には迷信だということのようです。

死後はテレパシー・時間のない世界である

量子論では、我々の思考、意志、意識、感情は、精神的な性質となり、量子情報として宇宙に永遠に残り続けます。

その時、私達は意識の状態にシフトして、グループ意識・宇宙意識と一体になり、互いの情報を共有するので、同じグループ意識の事がじかに分かるものと考えられています。

こんな体験談があります。

・テレパシーで会話することが出来た女性の体験談

「私が気がつくと、隣にとても美しい女性が立っていました。

何か会話をしていたのですが、その時の私達は言葉ではなくテレパシーのようなもので会話をしていました。

『今はあなたの番ではありません。戻りなさい』と言われた私は、もっと彼女と一緒にいたいと思ったのでそう伝えると彼女はこのようなことをテレパシーで送ってきました。

『あなたはいつか、悲しみの中で私の顔を見るでしょう』

そして同時に、自分が今よりずっと歳を取っていて、瓦礫だらけの場所で、ショック状態の人々の中にいるというビジョンを見せてきたのです。」

このエピソードは、テレパシーで会話をする世界が死後の世界であり、また、将来の自分という時間軸を超越した世界を表現しています。

実は、臨死体験にはその深さによって、第一次体験と第二次体験に分けられるという人がいます。

これまで紹介してきた体験談の多くは第一次体験であり、第二次体験とは、医学的に死亡の状態(心肺停止、呼吸停止、脳波停止など)になって初めて起こる体験で、この方のように時空を超えたり、何か全宇宙と繋がるような体験のことを言うようです。

ですが、脳が完全に停止しているにも関わらず会話や思考することが出来るというのはどういうことなのでしょうか。

人間の意識のありかはどこにあるのか?

おそらくそれは、肉体とは別の所にあるのではないか?と思ってしまいました。

一説では、死後その人の意識は、宇宙の全情報を入手することが出来るが、回復し意識が肉体に戻るとその大部分を忘れてしまうと言われています。

つまり、普段生きている私達は、肉体の制限を受け宇宙と繋がりにくい状態であるが、臨死状態に入ると肉体の制限を受けないため、宇宙の情報を受け取ることが可能になるとういうことです。

ヨガやマインドフルネスなどは、こういった本来ある『意識』の持つ力、宇宙と繋がる力を取り戻すようなそんなものなのかもしれないですね。

・自信の未来を体験した少女の体験談

「当時3歳だった私は、臨死体験の中で母親の自分への愛情の深さを感じました。

私には、姉妹もおり、母親と姉妹とは前世でも近い関係にあり、そういった前世の記憶を取り戻したんです。

同時に、母親の未来も見ることが出来、それは自分が死んだ場合と生還した場合の2パターンありました。

そして、自分の未来も見ました。

これから先、自分が体験するであろう全てのことは、良いことも悪いこともすべて理由があり、それは神様のような存在から与えられた贈り物のようなものだと感じました。

当時はまだ幼かったけれど、とても大切なことなんだと受け止めることが出来ました。」

神様の存在が出てきましたね。

前世や未来といった時間軸を超越した運命のようなそんな話です。

もしかすると人生の中で起きるあらゆる出来事は、神様からの贈り物なのかもしれないですね。

そこには様々な意味が込められていて、魂を精錬するようなそんな目的のために神様が試練や褒美をくれるといったイメージでしょうか。

死後の世界には、時間という概念がないので過去も未来も現在であり今の連続でだから過去にも未来にもアクセスすることが出来るというわけです。

まとめ

聖書の基本的な真理から考えると,人々が死後の世界を見ることはないようです。
聖書では「死んだ者には何の意識も……ない」と述べていますから。

ですが、もし死後の世界があるならきっとこの世界よりもゆったりと穏やかな世界なのじゃないかなと思いました。

臨死体験にはまだ、我々が知らない奥深い何かがあると思います。

体験者の方々にとって、死後の世界に行ってきたことは事実であり、その体験から死の恐怖を克服したり、自分の人生の生き方を見つめ直したりと良い側面もあります。

そうやって、人は少しずつ生きる力をつけて、いつか死の恐怖すら克服することが出来るようになるのかもしれません。