生前葬の意味を考える。「不謹慎?」それとも「縁起物?」

2019年9月5日

こんにちは、生前SHOW!編集部の鈴木です。

生前葬というと、イメージがし辛いために抵抗感のある方もいらっしゃると思います。

実際にやってみようと思っても、「不謹慎だと思われないか?」不安な気持ちもあるでしょう。

そこで今回は、
・過去に生前葬を行った方の想い
・実際に出席された方の声

をまとめてご紹介致します。

皆様の人生がより楽しいものになることをお祈りしております。

生前葬とは何か?

生前葬の一般的な定義

生前葬は、本人が存命中に行う葬儀のことで、すべての内容を本人のやりたい希望通りに作り上げることが出来ます。

基本的に、形式は自由ですので宗派に縛られることもありません。

『葬』というキーワードから、お葬式を連想させる方もいますが、還暦祝いなどの長寿のお祝いや、親しい友人達と顔を突き合わせるパーティに実際は近いです。

生前葬の歴史

古くは江戸時代にさかのぼり、あるお偉いさんが「死んで野良送りにされるくらいなら、自分の意志で葬儀を開きたい」という想いで寺の住職に相談したのが始まりと言われています。

生きている時ですらスマホや仕事に縛られ、死ぬことも自分でコントロールが効かない現代では、自分の意志で何かを催すということに私は意義を感じます。

生前葬のやり方・流れ

生前葬に興味がある方は、生前葬の当日の流れが気になると思います。

本人の希望を当日の流れに組み込みますので、一概には言えませんが一般的には下記のようなコンテンツが行われることが多いです。

1.開式の挨拶
2.自分史の上映・アルバムスライドショー
3.友人・親族からのスピーチ
4.出し物・余興
5.会食
6.本人挨拶
7.閉会の挨拶

結婚式と同じようなコンテンツ内容ですね。

人によっては、
「棺桶体験」
「若い時と今の似顔絵公開」
「死化粧ならぬ生き化粧」

などなど、オリジナルなコンテンツを盛り込むことも可能です。

どのような形であれ、出席された方は非常に楽しい思い出になっているようです。

ほんとに生前葬は不謹慎?

生前葬を行った人たちの想い

生前葬を行った著名人・芸能人の方は実は結構多いのをご存知でしょうか。

確かに、彼ら・彼女らの場合、仕事のPRの一環と捉えることも出来ますが、今回は、そういったPR要素を抜きにして、個人的な想いから生前葬を行った方をご紹介します。

元コマツ社長 安崎暁さんの生前葬への想い

末期がんで余命を宣告された安崎さんは、2017年12月自身の生前葬「感謝を伝える会」を開催しました。

彼は新聞広告で第第的に自身の生前葬の案内を出し、その文面が非常に胸が打たれると、ネット上でも騒然となりました。

その一部をご紹介致します。

「秋冷の候 皆様ご清祥のこととお慶び申し上げます。

私こと安崎暁は10月上旬、体調不良となり入院検査の結果全く予期せざることに胆嚢ガンが見つかり、しかも胆道・肝臓・肺にも転移していて手術は不能との診断を受けました。

私は残された時間をQuality of Life優先にしたく、多少の延命効果はあるでしょうが、副作用にみまわれる可能性のある放射線や抗ガン剤による治療は受けないことにいたしました 。」

日本経済新聞朝刊に掲載された「感謝の会開催のご案内」

自身の死期を悟り、残された時間を精一杯生きるため、延命治療を受けない決断をしたという文から始まります。

「その間40余年、皆様方には公私ともに大変お世話になり、誠に有難うございました。

また、引退後も余生を共に楽しく過ごさせて下さいました多くの方々にも大変感謝いたしております。

私がまだ元気なうちに皆様方に感謝の気持ちをお伝えしたく左記の通り感謝の会を開催することにいたしました。

ご都合のつく方々にご参加いただきお会いできましたら私の最大の喜びでございます」

日本経済新聞朝刊に掲載された「感謝の会開催のご案内」

これから病魔により、体力が無くなり自分の意志で動くことが出来なくなる前に、お世話になった方々へ感謝の気持ちを伝えたいという想いを綴られています。

安崎さんの生前葬にたいして、ツイッターユーザーからはこんな声が寄せられました。

自分が生きているうちに
自分の言葉で感謝を伝えられる。
素晴らしいと思います。
「まねできない終活」 コマツ元社長が笑顔で生前葬 : NIKKEI STYLE https://t.co/Z7JpfMmAag— 福島県郡山市 株式会社 Regalo(レガーロ) ~婚活から終活までトータルサポート~ (@regalo_ihin) 2017年12月18日

がんが転移した経営者。QOL優先し延命治療を拒否、そして元気なうちにお世話になった人にお礼を言う会を開く。盛大な会は大企業経営者だったからだけど、こういう「終活」をしたい一般の人もいると思う⇒「まねできない終活」 コマツ元社長が笑顔で生前葬 : NIKKEI STYLE https://t.co/VEbVRztj1t— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2017年12月15日

生前葬の報道を聞いて自分だったらどうするだろうと考えるきっかけを作ってくれた方でした

元コマツ社長の安崎暁氏死去 昨年末に生前葬:日本経済新聞 https://t.co/Wf73oh5Lj3— bright (@brightmiddle) 2018年5月31日

残念ながら、安崎さんは2018年5月にご逝去されてしまいましたが、彼の想いを受け取った人達に、「美しい死に方とは何か?」を残されたような気がします。

実際に出席した人たちの声

では実際に、生前葬に出席された方々の声はどのようなものでしょうか。

ツイッターから、出席者の声をご紹介致します。

白鳥町出身、井俣氏の生前葬に出席。ずっと応援している歌手の演歌あり、ベリーダンスあり、息子さんが率いる関ヶ原戦国武将隊のパフォーマンスあり。亡くなったら何も想いを語れない、とつながりがある方々へ感謝を込めた宴。自分が大切にしていたもの、いいと思ったことを伝える、新しい形かも— こばけん (@okobausa) 2011年11月21日

主催したご本人の好きなものを追求した宴になったようです。

「亡くなったら何も想いを語れない」
そんな寂しい時が来ることが分かっているのなら、と催されたと推察致します。

出席者の方の心にも、自分の想いを表現することの大切さが伝わったのではないでしょうか。

通っていた保育園の園長先生。今でも交流があり良くしていただいてる。
今日はそんな先生の生前葬に出席。帝国ホテルで結婚式のようなスタイルでただただ楽しくて。「火星に行く準備をし始めました!」と笑顔で話すユニークな先生と3歳の頃から出逢えたことに感謝。こういう会、素敵だな。— 大和田美帆 (@miho_ohwada) 2017年4月9日

保育園時代の園長先生の生前葬に出られたというこの方にとって、園長先生はとても想い出深い方なのでしょう。

「素敵だな」 という言葉。本人が亡くなってしまっては、こんな気持にはなれないと思います。

今日は芝居の専門学校時代の理事長の生前葬(生善想)に出席させていただきました。
生きているうちに会いたい人と集まる葬儀。
めちゃくちゃ素敵な式でした。
葬儀やのに、おめでとうが溢れていました。
八木先生、おめでとうございます。 pic.twitter.com/Ig6inEjoTk— 佐藤太一郎(吉本新喜劇) 7/23〜24 YESシアター 佐藤太一郎企画その23『お母さんいません』 (@satotaichiro) 2014年11月15日

生きてるうちに会いたい人と集まる葬儀。

やはり生前葬の醍醐味はここにあると思います。誰しも平等に訪れる死の前に、もう一度だけあの人に会って楽しい時間を共有したいという想いは、不謹慎でしょうか。

私にはそうは思えません。死に関連することを、一括りに不謹慎という言葉で片付けてしまうことに違和感があります。

ぜひ皆さんも、一度生前葬を検討されてはいかがでしょうか。